哲学

5月31日までオンライン授業になったという事で、、早起きしなくていいのは有難いですがやっぱりみんなで受ける授業がいいなあ。テストもなくなりレポート課題が多くなるので計画的にやっていかないと今回はやばい気がします。

 

今週は、須長先生をお招きしての哲学の授業でした。履修登録をする際に一般科目のところでも哲学の授業はありましたが、私は何となく難しそうだなというイメージを持っていたので履修しませんでした。でも、今日の授業をきいて哲学には正しいとか間違っているとかがないので、それぞれの意見をきいて意外に面白いなと思ったところです。

 

本題に入る前に須長先生から少しお話していただきました。お話されていた中で、思考力を鍛えるには問いをたてることが重要だと仰られていました。まさしくこれは自分に足りてないと感じました。早い思考では、良い問いや答えは出てこないしミスもしやすい。問いを立ててみて答えをだす過程を何度も何度も繰り返して考える深い思考の考え方が重要だということが分かりました。簡単に答えをだして満足するのではなく、さらに深堀りして考えてみる忍耐力的なモノが大事なのかなと思いました。

 

続いて本題に。

最初に課題をもらった時、利己主義について調べました。

利己主義とは「社会や他人のことを考えず自分の利益や幸福だけを追求する考え方。」

これは例ですが、電車で席を譲るひとを見たとき、その人の親切心から席を譲っていたので利己主義の考え方でその行為をしているのではないと思いました。私自身もその人をみて良い人だなと思ったり

自分がしてあげればよっかったかなという罪悪感も少し感じました。そう思うという事は、少なからず利己主義の考え方があるのかなと思います。

人間の行動はみな利己的であるという考え方が正しいとは言いたくないけどやはり心の奥にはそのような考え方があるのかなと思います。でも、他の班の人が言っていたように、心の内では利己主義の考え方があったとしても、結果として人の役に立てているのなら良い気がします。(それを表面上に出すのはよくないけど)

班で共有した中で、利己主義の考え方があったからこそ道徳や倫理という考え方が生まれたのではないう意見がありました。

もし、人が倒れていて助けなかった場合には、少なからずその人の事を考えたり罪悪感を感じる。それは、道徳倫理のもとで私たちが人を助ける事は善いことだと認識しているからだと思います。利己主義の考え方がなかったら道徳倫理の考え方は生まれなかったと考えると利己主義は正しいと言っていいのかなと思いました。

自分で書いておいてゴチャゴチャしてしまいましたが、来週もあるのでもっと深く考えて充実した時間になったらいいなと思います。

 

ゼミ終わりに好奇心についても話し合いましたが

ちょっと思考停止してしまって。

分からなくなってしまったので

とりあえずみんなで同じ文献を読んで思った事を

共有する事になりました。

前期も3分の1くらいは終わってしまいましたが

自分たちで時間を作って行かないと進まないなと思います。頑張ります!